全国に先駆けてインターネットを開始、デジタル移行は社員総出の全戸訪問で達成
その結果、接続率が急激に上がりましたね。
森:設立5年ほどで接続率が90%となりました。この高い接続率は、CTYが新しいサービスを始める際の後押しになりました。インターネットサービスについては、97年に武蔵野三鷹ケーブルテレビ(株)(現(株)ジェイコム武蔵野三鷹)と同時期に、全国に先駆けてサービスを開始しました。なぜインターネットを早く始められたかというと、95年に米国「NCTA大会」(*)に視察に行き、アメリカのケーブル事業者がインターネットに取り組むことを知ったのがきっかけ。まだ「インターネットってなに?」という時代でした。NCTAには、開局前から若手スタッフ3~4人と毎年視察に行っていました。私は今でも若い人に「どんどん外に出て、見てこい」と言っています。ケーブルテレビは新技術・新サービスを取り込みながら発展していくビジネス。アンテナは常に張っててほしいですね。
(*)NCTA大会=National Cable Television Association/全米ケーブルテレビ事業者連盟(現在の名称はThe Internetand Television Association)が年に1度開催する、ケーブルテレビのコンベンション。なお、2016年以降は開催されていない。
その後の大きな事業環境変化としては、地デジ対応がありました。
森:できるだけスムーズなデジタル移行を実現するために、全社員(約100人)による戸建全戸(約10万戸)訪問を、約4年かけて実施しました。5~6人1チームで担当エリアを決め、在宅率が高い土曜日に1軒1軒説明にまわりました。その結果、完全地デジ化の2011年7月24日には全加入者のデジタル完全移行を実現することができ、デジアナ変換はやりませんでした。とにかく先手を打って準備をすること、そして、お客様と顔を合わせて話すこと。これが、トラブルなく地デジ完全移行が成功した要因だと思います。
この30年間、森さんが大切にしてきたことは何ですか。
森:地域の皆さん、従業員の皆さん、この2つを大切にしていけば、ケーブルテレビは必ず育つと思います。そして、私が個人的に最もうれしいのは、新年会で従業員みんなのニコニコした顔を見ることです。30周年を迎えた今年の新年会では、社員・パートさん200名全員ハチマキをして、若手のリーダーの合図で「がんばろう!」と気合いを入れました。私も元気が出ましたね。
社是は「正道を歩む」、10年ほど前に決めました。私の中ではずっと温めていた言葉ですが、ようやく「正道を歩む」を社是に掲げられる会社になったと思っています。
これからのケーブルテレビについて。
森:平成の時代にケーブルテレビは大きく成長し、その結果「ケーブルテレビではなくなった」と思います。8年前に有線テレビジョン放送法がなくなった時点で、ケーブルではなくなっているんです。もちろんケーブルテレビが消滅したと言っているのではなく、「従来のケーブルテレビの姿を追い求めていると、見誤るぞ」という意味です。
私たちは2007年にCCJを設立し、そのグループ会社としてCTYと隣接するケーブルネット鈴鹿、新潟県のNCTが、ともに勝ち残っていく体制を築いています。
ケーブルテレビは今や通信事業者として大手通信会社との競合の時代に入りました。厳しい分、未来は無限大。ケーブルテレビは今までの30年よりも、これからさらに大きく発展すると確信しています。
photo by 越間有紀子
PROFILE 森 紀元 MORI MICHIMOTO
1940年2月四日市生まれ。1958年2月北伊勢信用金庫(現北伊勢上野信用金庫)入庫、本店営業部副部長等を経て88年1月退職、同年6月ケーブルテレビジョン四日市(株)(現(株)シー・ティー・ワイ)取締役、89年2月同社常務取締役、94年6月同社専務取締役等を経て、97年12月(株)シー・ティー・ワイ代表取締役社長、2007年同社代表取締役会長兼CEO、(株)CCJ代表取締役社長、2013年6月(株)シー・ティー・ワイ取締役名誉会長(現任)。08年6月(株)エヌ・シィ・ティ取締役(現任)、2012年12月(株)ケーブルネット鈴鹿代表取締役会長(現任)、2017年6月(株)CCJ代表取締役会長。2021年3月20日死去。