24時間365日アニメが楽しめる夢のようなチャンネルが誕生する
目論見通り、アニマックスは急成長を遂げ、専門チャンネルでNo.1の視聴世帯数を誇るチャンネルになりました。
滝山:スカイパーフェクTV(! 現スカパー!※)で98年7月から「アニマックス」がスタートしますが、開局時のアニマックスは、アーカイブ作品ばかり。どうすれば魅力的な編成ができるか、そのための企画は何かをつねに考えていました。その代表例が、98年8月の特集「ガンダム33時間マラソン」や、翌年の「ボトムズ40時間マラソン放送」、2000年に実施した「日本のアニメ ベスト100」。今でこそ、ビンジウォッチングとか言われるけど、その走りはアニマックスだと思っています。
しかし、翌年3月の加入件数は10万件でした。これは相当ショックだった。その後、2~3年は苦労しました。
※J スカイ Bは、96年から放送を開始していた「パーフェクTV! 」と合併。現在のスカパー!の礎、スカイパーフェクTV!が98年に誕生する。
これらの特集企画は、滝山さんの発案ですよね。アニマックスの歴史でターニングポイントになったのはいつですか。
滝山:これらの企画は全て僕が考えました。その当時はキレていましたね(笑)。企画を考え続けて、寝ないで撮影現場に入るなど忙しかったですが、とても楽しかったです。
ターニングポイントは、(株)ジュピターテレコム(J:COM)での採用です。J:COMは日本最大のMSOですし、グループ局のJ:COM東京は、アニメ制作会社やそのスタッフがたくさん住んでいる東京都杉並区や練馬区をサービスエリアにしています。だから、02年のJ:COMでの放送開始は、アニマックスの成長を語る上で欠かせない出来事でした。
13年には約910万世帯まで視聴可能世帯数を拡大していきますが、その後伸び悩んでいます。現状をどのように分析されていますか。
滝山:その当時は1,000万世帯まで到達可能だと思っていました。しかし、15年からOTTサービスが台頭しはじめた影響があるかと思います。特に、外資系のOTT事業者は、膨大な制作費をかけてアニメーションを制作し、独占配信しています。コンテンツ面での影響が出始めていると思います。また、地上波UHF局や無料BS放送でアニメーションが多数放送され始めたことも影響があると思います。