ケーブルテレビは漢方薬と同じ
徐々に、段々と加入が増えてくる
地道に営業活動を続けてこられて、1万件達成の時の感想は?
佐藤:営業を8年間やっている間に実感しました。ケーブルテレビは漢方薬と同じで、徐々に効いてくる。何か特別なことをやったからといって、すぐに加入者が増えるものではない。ですから、1万件達成したとき、何を最初にやったかというと、社員たちの家族を全部呼んだんです。家族を招待して「今日ここで1万件になったのは、君たちの力よりもご両親やご家族の皆さんのおかげです」と。それからも折に触れて家族を呼んで、お祝いをやりました。
また、1万件達成したときに考えたのは、自主制作放送でした。自主制作放送の原点、ケーブルテレビの放送の原点、それは選挙だと私は思いました。そして、まず統一地方選挙の開票速報をやろうと。当時、市会議員の選挙の開票速報など日本全国どこもやったことがない。市会議員の選挙の開票速報を皮切りに、選挙の開票速報は色々やりました。
創業からひたすら地域社会への貢献活動を続けてこられました。これから佐藤さんが目指すものとは?
佐藤:ひとつは地域に合ったオリジナルのものを開発しなければならないということです。そのひとつが槍ヶ岳。槍ヶ岳は4K映像を生で映すんですが、その映像には、いくつかの要素があって、ひとつは定点カメラを遭難対策に使うということ。そしてもうひとつは、地震や天気予報などを槍ヶ岳の上でやるということ。3,000m級の山である槍ヶ岳の上で地震がしょっちゅう起きており、その横には飛騨山脈の主稜線上にある焼岳という活火山があり、そこがいつ爆発するかは槍ヶ岳を見ないと分からないのです。
そしてもうひとつは観光行政。これから観光行政はチラシやパンフレットなどではなく、4Kのテレビを使って生の映像を出してやりませんかと県知事に持ち掛けています。通年で槍ヶ岳の映像を4Kで送れる日がまもなくきます。世界中に槍ヶ岳の生映像を発信するつもりです。
これまで社長として、そして業界のリーダー的役割を担ってこられました。これから先の業界をどのようにご覧になっていらっしゃいますか。
佐藤:昭和から平成の30年、簡単に言うと常に技術刷新に追われていたように思います。投資をして、挑戦し続けてきたのがこの30年間。その中で、一番ケーブル事業者が苦戦してきたのは通信事業ではないでしょうか。
私自身、ゼロから始めましたから、放送についてはだいたい分かりますが、通信関係になると、勉強したけどよく分からない。時代の差もあってついていけないことも増えてきました。これからもケーブルテレビは放送から通信に大幅に転換していくでしょう。自主放送も含め、どういう舵取りを次の指導者にさせるかが大きな課題であり、大事な時期だとも言えます。
また、放送と通信が融合をしていく中で、テレビ事業だけでなく、インターネットや電話、そして電気やガスの事業までもができるようになりました。常に新しいものに挑戦し対応してきたことで、事業者は皆それぞれ伸びてきたんでしょう。ところがこの次の目玉、生き残っていくための策が今ないんですよ。これを私は一番危惧しています。
最後に次代を担う社員の方々に伝えたいことを聞かせてください。
佐藤:当社はもうすぐ50周年を迎えますので、何か新しいものを出さなければいけないと考えています。東京オリンピックが終わった後、ケーブルテレビは何をしたらいいのか…。そこで、当社では年6~8回くらい外部講師を招いての勉強会をしてきました。また、肩書のない若い世代の社員で勉強会を行い、2020年の10月までに新しいアイデアを見つけて次の世代に活かしたいと思います。
当社のような小さな会社にも4月1日、「テレビを見ていない」若者が新入社員として3人入社してきました。今や新聞社でさえ入社試験で10人いたら9人まで新聞をとっていないと言います。テレビも同様です。そういう若者たちが次の時代を担っていくわけです。
私自身、国際交流や各種イベントなど、新しいことが好きで人のやっていないことしかやらない主義だから、こうした若い世代の発想に大いに期待を寄せていますよ。
photo by 越間有紀子
PROFILE 佐藤浩市 SATOU KOUICHI
1941年生まれ。67年早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒。67年自由民主党本部機関紙「自由新報」記者。74年(株)テレビ松本ケーブルビジョン設立。同年代表取締役社長、現在に至る。主な公職・団体:2000年日本ケーブルテレビ厚生年金基金代議員。08年(一社)表千家同門会長野県支部副支部長。12年(公財)全日本なぎなた連盟会長。16年長野県護国神社総代。