板東浩二 氏 (株)NTTぷらら

「ひかりTV」で新たな市場を開拓 国内最大規模の映像配信サービスに

2019年5月号掲載

板東浩二氏(株)NTTぷらら 代表取締役社長

日本最大級の映像配信サービス「ひかりTV」のスタートは2008年(平成20年)3月。板東浩二氏は、1977年に日本電信電話(NTT)にエンジニアとして入社。その後、九州支社ISDN推進室長、マルチメディアビジネス開発部 担当部長などを経て、98年7月、44歳でNTTぷらら(当時社名:ジーアールホームネット)の社長に就任した。債務超過状態に陥った会社を急ピッチで再建。ISP事業を軌道に乗せてからは、先進的に映像配信事業に参入し、IPTV・VOD市場を切り拓いてきた。国内最大規模の映像配信サービス「ひかりTV」生みの親でもある板東氏に、映像事業開始の経緯や、サービス立ち上げ時の苦労、今後の事業戦略などを聞いた。

ADSLに代わるブロードバンドの本命は光
映像配信をキラーサービスに
社長に就任された当時の状況をお聞かせください。

板東:1998年7月、本社役員の推薦を受けて、債務超過状態の「ジーアールホームネット(※1)」(現NTTぷらら)に送り込まれました。毎月1億円の赤字を出している状況に愕然としましたが、必死で打開策を考えていたところ、追い打ちをかけるように「NTTグループの再編で会社を清算する」という話が浮上して…。あまりの理不尽さに正直腹が立ちました(笑)。意地もあって、事業収支を徹底的に見直して不採算事業を整理しました。まずは、会社が目指していたEC事業は収益が見込めないと判断し、ISP事業へのシフトを決めました。当時から実践しているのは、「3年全力でやって黒字化しない、あるいは黒字が見えないときは、大きくビジネスモデルを変えること」。奇跡的に半年で単月黒字化を果たし、会社を存続させることができました。
(※1)「ジーアールホームネット」(現NTTぷらら)は、日本電信電話(NTT)、ソニー、セガ、ヤマハ、日本ビクターの5社が出資して1995年12月に設立した合弁会社。

その後はISP事業が順調に成長していましたが、映像配信に着手した狙いは。

板東:確かに2003年当時もISP事業の会員数は伸びていましたが、この状況は長くは続かない。遠くない将来にサチってくると思ったのです。新たに着目したのがIP電話と映像配信でした。グループ全体には、「ADSLに代わるブロードバンドの本命は光だ」という雰囲気が漂っていて、「光のキラーサービスなら映像だ」と狙いを定め、04年7月にフレッツ光を利用したIPマルチキャスト方式の映像サービスを開始しました。それが、「ひかりTV」の前身、「4th MEDIA(フォース メディア)」です。

当時はどんなご苦労がありましたか。

板東:「4th MEDIA」は、有料多チャンネル放送とVODの2本立てのサービスでしたが、VODでどんなコンテンツを扱うか、社内で検討を重ね、「お子さまから年配の方にまで人気の高いハリウッド映画がよいだろう」という結論に至りました。しかし当時の我々には調達ルートがなく、いきなり権利者と直接の交渉を試みました。ちょうどファイル共有ソフトの「Winny(ウィニー)」が猛威をふるっていて、違法コピー対策に神経をとがらせている時代。当時、ブロードバンドを使った映像配信ビジネスは、アメリカより日本の方が進んでいましたから、ハリウッドスタジオの理解を得るのに苦労しました。