若い世代には、激動の時代をおもしろがってほしい
その後、衛星ビジネスはいくつもの合併を経ながら、30年間着実に成長を続け、現在に至っています。仁藤さんにとって、印象に残っている出来事は。
仁藤:やはり多チャンネル放送プラットフォームとして初めての合併が印象に残っています。93年8月17日にJCSATとSAJACが合併して、(株)日本サテライトシステムズ(以下JSAT)が誕生し、衛星2機体制から4機体制が可能となり、事業計画を大きく変更することになりました。SAJACの1号機として計画された衛星は統合会社JSATの3機目となるわけで、この衛星で何をやるのかという議論になりました。この時初めてCSデジタル多チャンネル放送、今の「スカパー!」の原型となるプランが出てくるわけです。この頃はCSアナログ放送(JCSAT-1利用の「CSバーン」、スーパーバードB利用の「スカイポート」、合計TV14チャンネル)の加入が伸び悩んでおり、一方、アメリカではディレクTVが100チャンネル超のデジタルサービスを開始して快進撃を続けていました。とはいえ、日本におけるデジタル多チャンネル放送は全く新しいサービスですから、衛星会社、プラットフォーム、チャンネル放送事業者、加入者…、この間のお金の流れも含め、皆がハッピーになる産業構造を考える必要がありました。構想から約3年間さまざまな議論と準備を重ね、96年10月に日本初のデジタル多チャンネル放送「パーフェクTV!」の本放送を開始しました。この「パーフェクTV!」を送り出した衛星がJCSAT-3 、つまりSAJACの1号機として計画された衛星です。
この後、CSデジタル放送のプラットフォーム3社が合併、衛星会社も全て合併し、最終的にスカパーJSATの1社に統合されましたが、仁藤さんにとって最も大変だったのは。
仁藤:98年の「パーフェクTV!」と「JスカイB」の合併ですね。持ち株会社の下にぶら下げるのではなく、実質的に2つの会社をひとつにする作業でしたから、それこそオフィスの場所から人事制度、マーケティングのやり方など一つひとつ、つなぎ合わせないといけない。骨を接いだり、神経をつないだり、筋肉をつなぎ合わせたりするような感じです。
同じプラットフォームでもベースとなる考え方が違うので、なかなかすんなり決まらない。私は合併委員会のパーフェクTV!側の事務局のヘッドでしたから、「マーケティング部が意見が合わなくてケンカしている」と聞くと、飛んで行って「どうしたの」と(笑)。株主合意から3カ月足らずという短期間での合併作業はとても大変でしたが、おもしろかったですね。それに、この時にワーッと議論したことは後々良かった。とことん議論した上で決めたことは、みんなでやろうというムードができましたし、会社の中に公平さが生まれました。
スカパーJSAT、そして仁藤さんご自身が、この30年間の熾烈な競争を勝ち抜いてきた理由は何だと思われますか。次世代に向けたエールも込めて、教えてください。
仁藤:スカパーJSATが勝ち抜いたとも、私がリーダーシップを発揮してきたとも思っていません。あえて言うなら、“ゼロから作る”ことにひたすら挑戦してきた結果です。誰かが作ったマーケットに横から参入するのではなく、常に新しいビジネスを作ろうとしてきた。そこが30年間ビジネスを継続できた理由じゃないかな。今は大手ネット系や外資系企業によるOTTサービスが乱立し、AIやロボットの急速な進化など、これまでとは別次元の激しい競争が始まっています。ただ、このような状況は若い世代にとっては、たとえそれが自らにとって劣勢の事業環境であっても、安寧な状況よりもおもしろいはず。どんどんおもしろがって、活躍の場を広げてほしいですね。
photo by 越間有紀子
PROFILE 仁藤雅夫 NITO MASAO
1955年5月生まれ。1981年4月三井造船(株)入社、89年(平成元年)8月日本通信衛星(株)(*)入社、97年4月日本デジタル放送サービス(株)(*)取締役、00年6月ジェイサット(株)(*)取締役、同年6月(株)スカイパーフェクト・コミュニケーションズ(*)常務取締役、06年6月同社代表取締役社長、08年6月(株)スカパーJSATホールディングス取締役(現任)、08年10月スカパーJSAT(株)取締役執行役員副社長(現任)。(*)現在のスカパーJSAT(株)